2016 1/8
世の中にあまたある「話し合い」「会議」について、なぜこんなに長いのか、と常々思っていた。
反省点としては「事前の打ち合わせが足りなかったから」「結論に向かおうという姿勢が、全員には無いから」など、いくつか挙げられたものだが、今日は「今まで話し合いを重ねてきたはずなのに、意思の疎通が出来ていなかったのか」と残念に感じる出来事が起こった。
チームとして掲げてきた目標を下方修正しなければいけない、現実的に達成困難である…そのことを会議でリーダーが発表した。すると、ある参加メンバーが「今になって下方修正することは出来ない」と異論を唱えた。結局、結論は出ず、再度時間を設けて話し合われることになった。
時を改めて行われた話し合いでも、決着はつかなかったようである。
私が感じたのは「今日この場でどうこうじゃなく、今まで何度も現状を話し合って来たじゃないか。なぜそのときに言わなかったのか」ということだ。
ふたつきも前から、折に触れ、現状を話し、打ち合わせて来たはずではなかったのか。
今日発表したリーダーも、メンバー員もともに話している姿を見かけていた。それが何故今になって…と思うと、もともと話が通じてなかったのではないかという気持ちさえしてくる。
月並みな表現だが、同じ日本語を話していても話し合えていないのだなぁということ。そして、話していて、もし小さな違和感を感じていたとしたら、そのままにせず確認をすること。後々大変なすれ違いとなっている可能性をはらむから。
肝に命じようと思う。