私のポケットはいつもいっぱい

何故だかいつもいっぱいいっぱいになってしまう、そんな主婦の日記帳です

子供の宿題を見ているとイライラしてしまう

子供と一緒に毎日、公文式(くもんしき)の宿題をするのだが、私の方がすごくイライラしてしまって困った。

もともと、学生時代に家で宿題をしたことがほとんど無い。授業になるとぶっつけ本番で答えていた。そんな私であるから、宿題をすることへの耐性が無く、さらにまた「宿題をやらせなければならない」という状況が自分を苛立たせた。

子供にとっては遊びの方が優先。毎回「くもんをやろう」と声かけが必要。声をかけても遊びのキリがつかないとなかなか始められない。ようやく取りかかっても先に進まず回り道ばかり。問題の指定通りに行わなかったり、わざと逆の順番で読んだり、違うことを付け足して書いたりする。それでいて、こちらが他ごとをしているのは許さない。

いつも途中でイライラしてしまい「ちゃんとやって」「やらないなら私は見ないよ」「ママはもうやめるよ」と私の方が音を上げた。一方、子供は「嫌だ!」「ママとやる!」と言って、意外とやめようとはしないのだ。

ああ、毎日、宿題の時間がつらい。そう思っていた。 

言語聴覚士として脳に障害のある患者様のリハビリを行っていた時、患者様が課題に取り組めなくても、課題をルール通りに行わなくても私がイライラすることはほぼ無かった。

「なぜできないのか」を常に考え、患者様を知ろうとすることが楽しくて仕方が無かった。

課題の設定に問題があるのか、それ以前に体調はどうか、集中できる環境なのか、患者様の好みに合っているのかなどと考え、条件を変えてリハビリに取り組めるようになれば、とても嬉しかった。

ところが親である私は、子供が「なぜできないのか」を考えたくなかったようだ。なぜ考えたくないのか、その理由を考えてみる。

例えば、寝る時間が遅くて睡眠不足なのではないか、食事がしっかりとれていなくて集中できないのではないか、もっとうまくいく時間帯があるのではないか・・・そういったことを検討する時、私は裏返しに「今、できていないのは親である私がうまく調整できていないせいではないか」と責められているように感じるのだ。

それが恐ろしくて、深く考えることをやめ「子供がちゃんとやってくれない」「子供にイライラさせられる」ということにしたかったのではないか。

だが、こうして書いていてあらためて思うが、子供の行動はすべて親に責任があるわけではない。子供にだってその時の気分もあれば体調もある。親の私がなんとかできることの方が少ないのではないだろうか。

私にできることと言えば、イライラしないように自分のご機嫌を取ることくらいだ。

過剰な責任感「やらなければならない」「うまく、やらなければならない」という思いが宿題をつらくさせているのであれば、それは百害あって一利も無い責任感だ。

そこまで生真面目に宿題をやらなくたっていい、気楽にやればいい。そう思うようになってきた頃、公文式の先生との個人面談があった。

「お家ではどうですか?宿題、しんどいですよね?」と問われて私は正直にはい、と答えた。毎回、ちゃんと出来なくて遊んでしまって・・・と。でもちゃんとやらなきゃ、と思うので苦しいですと伝えた。

先生は、まず、そんなにマジメにやらなくてもいいですよと仰った。「未就学児の学習において遊びの要素はとても大切で、公文式のプリントにカラーの絵やクイズのようなしかけがしてあるのもそういう理由があります。必ずしもルール通りに行わなくても、落書きしながらでも、学ぶことへの興味を持って楽しく、遊ぶように取り組むことは良いことなんですよ」と。

ただ、毎日1枚でも2枚でもいいので取り組むことは学習の記憶を定着させる上で重要ですから、決められた枚数が出来なくても少しはやっていただけるのがいいです、と。

ここまでで、私の気持ちはずいぶん軽くなっていた。自分でも気楽に宿題に取り組むようにしていたが、公文の先生からもお墨付きをもらえた。

また、グダグダとしながらもママと宿題をやりたい、と子供が言うことを話すと「お母さんと一緒に何かをするって、子供にとってはとても大切な時間なんですよ。家事の片手間じゃなくて、自分だけに向き合ってくれる時間というのは。今はそれを楽しんでくださいね」と仰った。

なんだか泣きそうになってしまった。「ママがいい!」「ママとやりたい!」と言うのは、本当に言葉通り息子からのラブコールだったのかな、と。

それからも、やはり宿題に耐性の無い私は、時にイライラしながら息子の公文の宿題に取り組んでいる。

ただ、イライラが大きくなりそうな時、そんなにマジメにやらなくてもいいのよと自分に話してみる。

そうして楽しむ心が生まれてくると、ふと目の前にある息子のまんまるのおでこを見て、優しく撫でたいような気持ちになり、そっと撫でてみる。

宿題に集中していた息子は少し驚きながら、しかしすぐに目を細めて、きゃらきゃらと笑い、私を見つめ返してくれる。